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BIO

2021/05/26 11:15


Bryan Mason

(12 October 1927 - 7 January 2014)


Gardener

Painter

Enlightened









 

ブライアン・メイソン プロフィール

19271012-201417日)

1927 イギリス、ヨークシャー州北部のイーストビー村に生まれる。

51女の家庭に生まれ、両親が耕す荒れた農地で子供時代を過ごした。父は農夫、母はヨークシャー東部の「名家」の出身で、両親の生い立ちの違いや信仰の違いは、ブライアンに様々な良い影響を与えたようで、一般的な家庭の常識にとらわれない両親の教育方針のもと、ブライアンの自由な発想が育まれていった。

 

1945 第二次世界大戦が終わり、イギリス政府に雇われ、ドイツ、マレーシア、香港などで地雷撤去に従事する。

 

1954 香港に滞在している時に、その後師と仰ぐ中国広州出身の水墨画家、趙(ちょう)少昂(しょうこう)(Zhao Shao Ang)と出会う。

 

1957 イギリスに帰国し、英国屈指のスレード美術学校で学び、スレード校を卒業後、さらにロンドン大学の美術学部で学んだ。64年卒業。

1964 ロンドン大学から講師として招かれ、ロンドン大学ゴールドスミス校にて絵画と彫刻の教鞭をとる。講師として1969年まで在籍しながら自身も精力的に創作や個展などを開いた。

1969 インドを旅行中に同じくロンドン大学で教鞭をとっていた量子物理学者のデヴィッド・ボームの紹介で、哲学者 J・クリシュナムルティと出会い、多くの対話から、ノンデュアリズム論などに触れ、その体験がブライアンの画風に大きく影響しているといえる。


19701973 スウェーデンに居を移し、創作活動、個展を開く。

1973 日本を訪れる。

 

1973 ヨーロッパに戻り、南フランスの小さな村、トウレット=シュル=ルーに居を移し、創作活動や個展を開く傍ら、庭師として生計を立てる。村に住み始めた当初からブライアンは、曰く「小さな掘っ建て小屋」に住んでいたが、かく言うその小屋の持ち主は、第二次世界大戦の始まりを世界に初めて報じた著名なジャーナリスト、クレア・ホリングワースであった。

 

以後、2014年にその生涯を終えるまで、庭師を名乗ったブライアンは村から一歩も出ることはなかった。